政治家「久保田」のできるまで

身内に政治家などいない普通の環境で生まれた私が、どうして政治家を志すようになったか説明いたします。

私は長崎市の式見の港の近くで、かまぼこ屋の次男として昭和46年に生まれました。
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小中学校時代は軟式テニスとサッカー、高校時代はラグビーと、スポーツが中心の生活を送りました。
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この頃、都会への憧れは強く、関東と関西の大学を受験。大阪の大学へと進みます。
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大学生活自体はそれほど不満はありませんでしたが、実際に住んでみると、都会の魅力というものをそれほど感じませんでした。
故郷を離れたことで、かえって故郷の魅力が見えるようになりました。
それと同時に、地方の課題が自分なりに見えてきました。そして、地域のためになる仕事がしたいと思うようになります。
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大学を卒業して長崎に戻り、地域の役に立ちたいと考え長崎市役所に勤務します。
市民のために働き、やりがいを感じましたが、一方で自分の立場で出来る限界も感じました。
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私が37歳のとき、以前から話はあったのですが、いよいよ実家から家業のかまぼこ屋を継ぐように言われ、受けることにしました。
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家業を継いで、最初は一生懸命でしたが、2年、3年と経つと、経営の要領も掴めてきて、時間にも余裕ができるようになりました。
時間があると、地域の政治について考えていました。以前の志だった、「地域のために何かしたい」という思いが強くなっていきます。
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そしてとうとう、平成27年、何の実績もつてもなく、とうとう県議会議員選挙に立候補しました。周りからは無謀だと言われました。
結果は惜しくも次点で落選、しかし皆さんが応援して下さるという手応えを掴みます。
そして平成31年の県議会議員選挙で初当選を果たしました。
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議員1年目は、議会の仕組みや手続きなど様々なことを勉強する期間でしたが、2年目以降は、政策などに提案できるようになり、
自分の提案した活動や政策が、少しずつ実現していくようになってきました。

九州を、地域を元気にするため、佐賀県の皆様のために全力で活動してまいります。

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